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自我・超自我・エスの三者間バランス

 ジークムント・フロイトは人の心を「自我」「超自我」「エス」の三つの領域に分けて分析した。この三者の関係をハイダーのバランス理論に当てはめてみる。

図1 図2
図1
a:自我
b:超自我
c:エス
図2
a:自我
b:超自我
c:エス

 「良心」と呼ばれることもあり厳格な性格の「超自我」と快感原則に従って欲求を満足させようとする「エス」は対立していると考えて良いだろう。「自我」はバランスの良い状態にするために、エスを否定して超自我を選択する(図1)か超自我を否定してエスを選択する(図2)必要がある。両方を選択することはできない。そこで悩みが生じる。

 超自我とエスの対立は最終的には自我が選択することになる言動についての価値観の違いによるものである。

図3 図4
図3
a:自我
b:超自我
c:エス
d:言動
図4
a:自我
b:超自我
c:エス
d:言動

 エスの快感原則によって生まれる言動 d を超自我が否定(Wbd < 0)する。その結果、バランス理論によってエスと超自我は対立することになる(図3、図4)。図3のように自我が d を否定(Wad < 0)していればエスの価値観を否定(Wac < 0)して超自我の価値観を肯定(Wab > 0)していることになる。それでバランスが保たれる。図4のように自我が d を肯定(Wad > 0)していればエスの価値観を肯定(Wac > 0)して超自我の価値観を否定(Wab < 0)していることになる。それでバランスが保たれる。
 超自我が肯定する言動を「何でもあり」のエスが否定する構図を想像すると違和感があるが、欲望を満たすことを我慢する行動については超自我が肯定してエスが否定しているとみなしても良さそうである。その場合、図5、図6のようになる。

図5 図6
図5
a:自我
b:超自我
c:エス
d:言動
図6
a:自我
b:超自我
c:エス
d:言動

 抑圧的な超自我が希望する言動 d をエスが無視(否定)する。その結果、バランス理論によってエスと超自我は対立する。図5のように自我が d を肯定(Wad > 0)していれば超自我の価値観を肯定してエスの価値観を否定していることになる。それでバランスが保たれる。図6のように自我が d を否定(Wad < 0)していれば超自我の価値観を否定してエスの価値観を肯定していることになる。それでバランスが保たれる。

 さて、フロイトによれば超自我は両親という法廷を引き継いだもので、両親が子に対して行ったように自我を厳しく監視し、制御し、威嚇するものらしい。すなわち、両親との関係が自我と超自我との関係に変わる。ただし、両親の優しさや寛大な態度は超自我に引き継がれず、厳格さや処罰する態度だけが引き継がれるらしい。

図7 図8
図7
a:子
b:親
c:言動
図8
a:子
b:親
c:言動

 子は、図7のように親が望む(Wbc > 0)ことをして(ΔWac > 0)、図8のように親が望まない(Wbc < 0)ことをしなければ(ΔWac < 0)親から褒められるなどして肯定(ΔWba > 0)される。
 逆に、図9のように親が望む(Wbc > 0)ことをせず(ΔWac < 0)、図10のように親が望まない(Wbc < 0)ことをすれば(ΔWac > 0)親から叱られるなどして否定(ΔWba < 0)される。

図9 図10
図9
a:子
b:親
c:言動
図10
a:子
b:親
c:言動

 このように自分の言動に対する親からの評価を観察しながら子は親の価値観を自分の心に取り込む。超自我の役割は「自己観察」「良心」「理想機能」である。「親が子を評価する」態度によって超自我が作られる。親の価値観が超自我になるとしたら、図7や図8のように親に褒められた場合は親の優しさも超自我に含まれそうであるが、親に褒められたとしても、親に見られていることには変わりなく、すなわち親に監視されている状態と言える。その監視機能が超自我に引き継がれるのである。

 超自我の役割が「自己観察」であるならば、図3と図4は図11と図12のように変えて表現することもできそうである。

図11 図12
図11
a:自我
b:超自我
c:エス
d:言動
図12
a:自我
b:超自我
c:エス
d:言動

 エスの快感原則によって生まれて超自我が否定する言動 d を否定(ΔWad < 0)すれば図11のように自我は超自我に褒められる(ΔWba > 0)が、図12のように d を選択する(ΔWad > 0)と自我は超自我に責められる(ΔWba < 0)。もしも、自我が超自我に責められたくなければ、超自我が否定するようなエスからの要求を拒絶しなければならない。エスを選択するか超自我を選択するか、それは自我の権利であるが、エスも超自我も「現実」を無視する傾向があるので自我の選択は主に「現実」に合わせたものになる。あるいは現実に合わせて超自我やエスをごまかすことになる。しかし、自我が弱く超自我やエスが強すぎるときは自我は現実との間で葛藤し、場合によっては病気になることもある。


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カテゴリー:疑似ソシオン理論

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