嫌いな人達が争っている場合
【好悪感情のバランス理論】より。ハイダーのバランス理論の例をソシオン理論の表記法で示す。
図1
a:自分 b:他者b c:他者c |
図2
a:自分 b:他者b c:他者c |
図3
a:自分 b:他者b c:他者c |
自分の嫌いな人達が争っている場合、自分にとってのバランスは図1のようになる。
図1の状態は自分にとってバランスの悪い状態だが、図2のように b と c の仲が良くなるとバランスが良くなる。しかし、戦っている場合は b と c の両方と戦わなければならない(図3)。
図1のバランスの悪い状態も避けたいが、図3の状態で安定することも避けたい。
図4
a:自分 b:他者b c:他者c |
図5
a:自分 b:他者b c:他者c |
図6
a:自分 b:他者b c:他者c |
図4のように三者が敵対している状態はバランスが悪いが、もしも図5のように b と仲良くなれば a にとってバランスの良い状態になり、a は b と協力して c と戦うことになる。図6のように c と仲良くなっても a にとってバランスの良い状態になり、a は c と協力して b と戦うことになる。
幕末をイメージして a に「薩摩藩」、b に「長州藩」、c に「幕府」を当てはめてみると、「薩長同盟」は図5の状態だろう。
幕末の政治世界で影響力を持った薩摩藩と長州藩は討幕の思想では共通していたが、西郷隆盛・大久保利通らの薩摩は、1864年(元治元年)の会津藩と協力した八月十八日の政変や禁門の変で長州を京都から追放し、第一次長州征伐(幕長戦争)などで薩摩が長州を屈服させて以来感情的には敵対していた。長州、薩摩共に伝のある土佐藩脱藩の坂本龍馬や中岡慎太郎の斡旋により、主戦派の長州藩重臣である福永喜助宅において会談が進められ、下関での会談を西郷が直前に拒否する事態もあったが1月21日(22日説も)京都薩摩藩邸(京都市上京区)で坂本を介して西郷隆盛、薩摩藩家老の小松帯刀と長州藩の木戸孝允(当時は桂小五郎)が倒幕運動に協力する6か条の同盟が成立した。
(薩長同盟 - Wikipedia)
『薩摩藩と長州藩は討幕の思想では共通していた』が『薩摩が長州を屈服させて以来感情的には敵対していた』状態は図4に相当する。それが共通していた『討幕の思想』を重視して図5の状態になったのである。ただ、幕府から見れば、『第一次長州征伐』で図6をイメージしていたかもしれない。それが突然に図5になったように感じたかもしれない。
しかし、一番平和なのは、図7の状態である。
図7
a:自分 b:他者b c:他者c |
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