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物を大切にする心理と好意の返報性

 人が物を大切にする心理について、いろいろな解釈ができるが、ここでは好意の返報性との関係で考察してみる。

aからbへの一方通行 bに対するaの思い
図1 a(人)と b(モノ)の関係 図2 a(人)と b(モノ)の関係( a の思い)

 車、茶碗、服など「モノ」を大切にする人がいるが、大切にする行為は「モノ」に対する「好意」と解釈できる。しかし「モノ」は人を好きになったり嫌いになったりしない。上の図1のように人から「モノ」への一方通行(Wab > 0、Wba = 0)である。好意の返報性は好意に対して好意を返す心理であるが、「モノ」を大切にする行為は、好意を向けられていない対象に一方的に好意を向けているように見える。
 しかし、「モノ」を大切にする人の心の中には、無意識かもしれないが、上の図2のように「モノ」から好意を向けられている(Wba|a > 0)イメージがあるかもしれない。相手が人の場合、自分にとってプラスになることをしてもらうと意思を表明されなくても好意を向けられていると感じる。人は動く幾何図形でさえ生物であるかのように解釈するくらいだから(参照1参照2 in anthropomorphism.org)、「モノ」のおかげで自分にとってプラスになった時に「モノ」に好意を向けられていると心の中で解釈しそうである。
 例えば、人は「モノ」である道具を使うことで使わないよりも自分にとってプラスになる。車を使うことで歩くよりも速く移動できるし、茶碗を使うことでお茶を飲める。服を着ることで自分を綺麗に見せることができる。その結果、「モノ」から好意を向けられているかのように無意識に解釈している(Wba|a > 0)のかもしれない。役立つ道具は大切にされ、役立たない道具は粗末に扱われて捨てられる。それは役立つ(Wba|a > 0)か役立たない(Wba|a < 0)かで道具を評価している状態である。その道具を使うことで得られるものが在る(Wba|a > 0)か無い(Wba|a < 0)かで道具に対する思いを変えている。これは道具からの思いに対する返報性のように見える。
 あるいは、何かが起こった時に「モノ」に救われたように感じた経験があると、その「モノ」に対して感謝の気持ちが生じて大切に扱うようになるだろう。救われることは好意だと感じる(Wba|a > 0)。その好意に対するお返しとして好意を向ける(Wab|a > 0)。これも好意の返報性と同じ構図である。
 道具だったり、救われたような経験がなかったりしても、「モノ」を大切にする人の中に「モノ」に感謝する気持ちが伴っていることがある。「感謝」は何かを得ていることに対する「感謝」である。「モノ」から何かを得ている(Wba|a > 0)から、お返しに「モノ」を大切にする(Wab|a > 0)。好意の返報性と同じ構図である。

 歌うこと、踊ること、愛することなど「コト」についても「モノ」と同じように好意の返報性で解釈できる。
 歌うことで幸せな気持ちになれるから歌が好き。踊ることで幸せな気持ちになれるから踊ることが好き。愛することで幸せな気持ちになれるから愛することが好き。これらは、「コト」が幸せな気持ちにしてくれている(Wba|a > 0)から、そのお返しとして「コト」を好きになる(Wab|a > 0)。そのように好意の返報性で解釈しても良さそうである。

 物を大切にしたり、何か好きなことがあるとき、何も理由がないことはないだろう。行動心理学の枠組みで解釈するのが一般的だと思うが、ソシオン理論の枠組みで解釈する場合、その一つとして「モノ」や「コト」に対する好意の返報性が利用できそうである。他に認知的均衡理論(ハイダーのバランス理論)でも解釈できるが、それは後で考察する。


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カテゴリー:疑似ソシオン理論

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